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インタビュー2016-06-01

「人が憧れる者でありたい」-みちのくプロレス・のはしたろう選手に聞く

6月19日に神戸・三宮の神戸サンボーホール(神戸市中央区浜辺通5)で開催される「みちのくプロレス神戸大会~垂水出身・のはしたろう神戸凱旋(がいせん)大会~」に参戦するのはしたろう選手。身長159センチで「元祖・日本最小プロレスラー」をキャッチコピーにみちのくプロレスで活躍している。18歳まで神戸で過ごし、高校卒業と同時に神戸のプロレス団体「DRAGON GATE」の前身である「闘龍門(とうりゅうもん)」に入り、その後メキシコでデビュー。2013年3月にはデビュー10周年を記念し初めての神戸凱旋大会を実現させた神戸出身ののはし選手が、岩手県のみちのくプロレスに在籍する経緯やプロレスとの出会い、災害復興への思いを聞いた。

■プロレスへの思い

プロレスとの出合い
プロレスファンには有名な漫画「プロレススーパースター列伝」がプロレスを知ったきっかけ。両親が教師だからか厳しい教育方針で家にテレビが無かったので、プロレスを認識したのは漫画が初めて。プロレスの映像を見たのは両親が映写機を買ったのがきっかけだった。月に一度好きなビデオを見てもいい日があり、初めてプロレスを見て衝撃を受けた。プロレスラーたちが動き回って戦っている姿はすごくかっこよかった。

デビューまでの道のり
ずっとプロレスが好きで高校で柔道部に入り体を鍛えるのも好きだったが、自分はプロレスラーになってはいけないと思うほど自分の中で神格化していた時期があった。高校3年生のころ毎週木曜日に買っていたプロレス雑誌「週刊ゴング」で「闘龍門が9期生を募集」という記事を見て、神戸でもプロレスができることを知り両親に相談。「1日だけ考えさせて」と言われたが、次の日にはOKをもらい入門した。メキシコでデビューしてからは日本とメキシコを行ったり来たりの生活が続いた。

みちのくプロレスとの出合い
たまたま声を掛けてもらったことがきっかけで21歳の時にみちのくプロレスに入った。いろいろあって廃業するつもりだったところだったので、運よく今もプロレスを続けられている。

みちのくプロレスは岩手出身のザ・グレート・サスケさんが旗揚げをした東北初のローカルプロスポーツチーム。1992年に立ち上がったので今年で24年目を迎える。もともと地域活性・地元貢献を掲げ、「子どもから高齢者まで楽しめる娯楽を提供したい」という思いで始めたので、リングを作って周りにはブルーシートとござを敷いてプロレスをするスタイルでやっている。

プロレスラーとしての自分
体が小さいので基本的に狙われるし、周りに比べると力も無い。でもそれが自分の魅力の一つなので、小ささを売りとして向かっていく姿勢や闘志を出そうと思っている。オリジナル技の「逆(さか)打ち」も体が小さいことが利点となって生まれた技。飛び技も体が小さいからできること。

2015年3月からコスチュームを変更した。今着ているのはみちのくプロレスの創始者であるザ・グレート・サスケさんが覆面をかぶる前の格好と同じ。みちのくスタイルの伝承だと思っている。団体から認められたのだと光栄に思ってやっている。

■震災への思い

神戸と岩手で2度災害を経験
神戸の阪神・淡路大震災の時は小学6年生、東北の東日本大震災の時は28歳だった。神戸の震災では寝ていると下から突き上げるような揺れがあり、何が起きたのか分からなかった。自宅2階の自分の部屋で寝ていたが、父が妹と自分をすぐ1階に降ろして母と4人で家の近くの学校の校庭に逃げた。そこから余震で自分の家が揺れているのを見ていたのをよく覚えている。

東日本大震災では、3月12日・13日に大きな大会が決まっていたので、前日の11日はファン対象のイベントの手伝いをしていた。車に乗って選手を会場まで送っていく途中で車が揺れだしたが揺れている間は意外と冷静だった。揺れがかなり長く感じたので心配しながら余震が続く中、会場に行き、車のワンセグでテレビを付けると津波の映像が流れ始めた。大船渡、宮古、陸前高田、気仙沼など岩手や宮城の沿岸地域には新人のころ巡業でよく行って優待券を配ったりポスターを張らせていただいたりしていたので、会場がなくなっていたり、遺体安置所になっていたりといった様子を見たときはすごくショックだった。

東北の復興は
土地をかさ上げして安全なところに家を建てる段階に、なかなかたどり着けない方もいれば、早い段階で流通が確保できたところもあり、大きな復興格差がある。被災地の皆さんからは、さまざまな葛藤を感じることも多い。

みちのくプロレスも被災企業。震災で12日・13日に予定していた大会が中止になったことで収益がなくなるなどピンチもあった。3月末に予定していた大会が九州開催だったので、秋田から新潟に出て東京からはバスを借りて何とかして現地へ行ったことも。

来ていただいたお客さまには楽しんでほしいという基本的なスタンスは変わらず、震災後約1年間はできる範囲でのボランティア活動を行った。避難所になっているホテルから「避難者のストレスがたまっている、ボランティアでプロレスをしてもらえないか」という問い合わせを頂きプロレスをしに行ったこともある。40人ほど集まってくれて、みんなが元気な声を出して、ものすごく盛り上がった。釜石の仮設住宅や大船渡の屋台村などでもみんなが盛り上がってくれている様子を見ているとプロレスの力を再認識した。

■6月19日開催「みちのくプロレス神戸大会~垂水出身・のはしたろう神戸凱旋大会~」

大会の売り上げの一部を寄付
6月19日に開催するこの大会の売り上げの一部は、次世代の子どもたちに津波の恐ろしさや防災を伝える活動をする津波防災紙芝居プロジェクトに寄付する。紙芝居は大船渡の津波を題材にしたもの。子どもたちには防災の大切さを伝えていかなければいけないと思い、このプロジェクトに協力したい。会場では熊本地震への募金活動も行うので、ぜひ協力いただきたい。

6月19日の大会に向けて
地元神戸の方がたくさん来てくれるので、神戸で生まれた人間が必死で生きている姿を見て何かを感じてほしい。出身中学である星陵台中学校の中学生を招待しているので、プロレスを見ていただくことで進路を決めるときの刺激になれば。

チケットの売れ行きは好調で最前列は完売。800人入るホールなので、ぜひたくさんの方に見に来ていただければ。

■最後に

プロレスへの思い
プロレスは殺し合いではない。でも、体と体がぶつかるプロレスでは対戦相手を取り返しのつかない状態にしてしまうこともありうる。そうならないように最低限のコンディションを整え、確かな技術を落とさないことが大切。

人が憧れる者でありたい。自分がプロレスをすることで、人が変わるきっかけを与えたい。プロレスにいろいろなことを教わったし、震災の時などはプロレスに相当元気をもらった。自分と同じで、プロレスが好きだという思いを持つ子どもたちに楽しんでもらい、気持ちを動かすきっかけになれれば。

被災地の方へのはし選手よりメッセージ
微力ながら自分たちにできることはやっていくので、復興が一段落つくころにはプロレス会場に足を運んでほしい。

■取材を終えて

みちのくプロレスのロゴが入ったTシャツで取材に現れたのはし選手。「趣味・特技・仕事はプロレス。いつでも練習をしているくらいの運動量を保ちたい、練習しないと自分に返ってくるから」(のはし選手)と、どんな状況でも何かしら体を動かしているという。プロレスの話をするのはし選手はまるで少年のように楽しそうだ。

防災を伝える活動をするプロジェクトへ売上金の一部を寄付するなど復興への意識も高い。熊本地震以降の興業では各会場で募金活動を行っている。それは自身が2度の大きな災害を体験したことが大きいという。

未来に不安を覚えることもあるというのはし選手だが「自分はプロレスしかやってこなかった。これからも何とかプロレスでやっていきたい」と力強い表情を見せてくれた。のはし選手とみちのくプロレスに今後も注目していきたい。

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