展覧会チラシ(表)
展覧会チラシ(裏)
会 期:2025年9月20日(土)-11月16日(日)10:00-17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(休日の場合は翌平日)
(ただし10月13日(月・祝)、11月3日(月・祝)は開館、10月14日(火)、11月4日(火)は休館)
観覧料:一般1,000(800)円、大高生700(560)円、中学生以下無料
※( )内は20名以上の団体料金
※ 高齢者(65歳以上)および身体障がい者手帳・精神障がい者保健福祉手帳・療育手帳を
お持ちの方とその介護者の方は各当日料金の半額
※11月8日(土)、9日(日)は関西文化の日として観覧無料
(両日とも「ART MARKET あしやつくるば」を開催。)
会 場:芦屋市立美術博物館 主 催:芦屋市立美術博物館
後 援:兵庫県、兵庫県教育委員会、公益財団法人兵庫県芸術文化協会、朝日新聞社、神戸新聞社、
NHK神戸放送局、Kiss FM KOBE
助 成:芸術文化振興基金 協 力:サントリーホールディングス株式会社、株式会社サン・アド
本展は、国画会を中心に活躍した洋画家でありながら、寿屋(現・サントリーホールディングス株式会社)などで広告の仕事にも手腕を発揮した、山崎隆夫(1905-1991)に焦点をあてる展覧会です。
大阪に生まれた山崎隆夫は幼少期より神戸に暮らし、画家を目指しつつも神戸高等商業学校(現・神戸大学)に入学します。在学中、後に版画家となる同窓の前田藤四郎、画家の井上覺造らと美術グループ・青猫社を結成し、同時に芦屋在住の洋画家・小出楢重に師事、阪神間モダニズムのただ中で洋画を学びます。卒業後は三和銀行に勤めながら、1931年に小出が没すると画家の林重義に学び、独立美術協会展や文展への出品を重ね、1943年に国画会会員となります。戦後は芦屋市美術協会の結成や現代美術懇談会(ゲンビ)などにも参加しながら洋画家として活躍しました。
そのようななか銀行員としての山崎は、彼の画壇での活躍に注目した頭取によって三和銀行の広報担当に抜擢されます。各銀行が広報を強化した戦後の時代、独自の美意識を軸に山崎は、菅井汲、吉原治良ら芸術家仲間やアルバイトに来ていた柳原良平によるイラスト、人気女優のポートレイトを採用して数々の広告を制作します。このような山崎の仕事は評判を呼び、1954年に山崎は寿屋専務・佐治敬三に招かれ、柳原を伴って寿屋へ入社、宣伝部長に就任しました。同年に入社していたコピーライターで作家の開高健のほか、アートディレクターの坂根進、写真家の杉木直也ら自ら集めた宣伝部メンバーを山崎は「ほん機嫌よう遊びなはれ」という掛け声のもとで率いて、トリスウイスキーの広告やPR誌『洋酒天国』の発行といった広告活動を展開しました。当時の日本人には馴染みの薄かった洋酒文化を、モダンな楽しみとして普及させようとする山崎の仕事が、寿屋独自の宣伝スタイルを築いていくのでした。1964年には株式会社サン・アドを創立し社長に就任。晩年は1962年に居を構えた神奈川県茅ヶ崎市にて、1991年に逝去するまで意欲的に絵画制作を続けました。
山崎の生誕120年の節目に開催する本展は、彼の仕事の全貌を「絵画」「広告」の双方向から展観する初の機会です。阪神間モダニズムから戦後へと至る、山崎が生きた時代背景を踏まえつつ彼の仕事を通観することで、絵画と広告という異なる領域で確かな実績を残しえた稀有な存在である山崎の思考と美意識に迫り、その功績を再検証する試みです。
【本展のみどころ】
1 関西の美術館では初となる、山崎隆夫の個展。
山崎の「絵画」と「広告」の仕事に焦点をあてる初めての展覧会です。
2 「絵画」の仕事 ―約60年の画業の全貌を明らかにする初の機会。
山崎隆夫は小出楢重との師弟関係を出発点に具象を探求した戦前~戦中期を経て、戦後は関西に興ったモダンアートの時流に乗りつつ抽象作品を手掛けます。晩年は富士山をはじめとする様々なモチーフを、具象と抽象の垣根を軽やかに行き来しながら独自の絵画世界へと描き出していきました。
本展では山崎の約60年にわたる画業を4期に分け、各時期を代表する作品全35点を、関連作家約10名の作品とあわせて展観します。
3 「広告」の仕事
―三和銀行、そして寿屋へ。戦後大衆文化の象徴となった寿屋の広告を一堂に展示。
山崎隆夫は戦後、三和銀行や寿屋でアートディレクターとして広告の仕事に手腕を発揮します。数々の名作広告を世に出し、戦後関西の広告界の中心人物の一人でありましたが、その功績についてのまとまった紹介は、これまでほとんど行われていません。
本展では、現存する資料約180点と、彼や仕事仲間が残した多数の言葉から、山崎の広告の仕事の全貌を紐解きます。特に、当時寿屋宣伝部に在籍していたイラストレーター・柳原良平やアートディレクター・坂根進、コピーライターの開高健・山口瞳らを率いて行った「洋酒」広告について、その独自性を明らかにします。また、山崎が総合プロデューサーを務めた1970年の日本万国博覧会(大阪万博)サントリーパビリオンについても紹介します。
展覧会関連イベントについては 芦屋市立美術博物館HPを参考ください。
https://ashiya-museum.jp/